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30代。独身。眼鏡。超短髪。あごひげ少々。映画館に通うのが趣味。コメントやトラックバックはお気軽に。

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Kinetic Vision
ぐるりのこと
カナオ(リリー・フランキー)と翔子(木村多江)の周り(ぐるり)には、他人に対して不寛容、無関心な言葉が飛び交っている。そしてそのような不寛容な空気が、子供を亡くして落ち込んでいる翔子の心を押しつぶしていく。 彼らの一人一人は特別な悪人ではなく、私たちの周りでも見かけるような少しばかり身勝手な人たちだが、彼らの小さな言動の一つ一つが、時代の空気を作り出していく。

カナオが法廷で描き続けている被告人たちは、どんなに異様に見えようとも、どこか異世界からやってきた怪物ではない。彼らはこの不寛容な時代が生み出した怪物であり、私たちの周り(ぐるり)で育った人たちなのだ。

そんな生きにくい雰囲気の中で、親との関係もうまくいっていない二人にとって、夫婦の関係が自分たちを支える最後の拠り所となる。長回しの撮影で写される、相手の良いところも悪いところも受け止めるような夫婦のやりとりがこの映画の一番の見どころだろう。特に鬱の一番ひどい状態の翔子をカナオが受け止める場面はすばらしい。

私たちは世界を今すぐ変えることはできない。カナオは周りの人間の冷たい態度を自然体である程度受け流すことができ、世間の悪いところも冷静に見つめ続ける画家の目を持っている。一方きまじめな翔子は周りの無神経な言動に対してうまく距離を取ることができないのだが、茶道を学び絵を描くことで、身体と心のリズムを取り戻していく。翔子の見る世界が色を取り戻していく過程を、彼女の描く絵を見せることでうまく表現している。

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ザ・マジックアワー
いかにも映画のセットのように見える現実感のない街には、生活感を漂わせる格好をした住人の姿も見えず、ホテルの女主人からギャングたちまで、奇妙な格好をした人々ばかりが画面を横切っていく。マジックアワーというタイトルが指し示している夕方の微妙な光も、映画の冒頭に書き割りに描かれた絵として登場する。

元々現実感のない世界に、ピンチを乗り切ろうとする主人公が映画俳優を引き込んだことから、世界はさらに混乱していく。ギャングに囲まれた生死に関わる場面のなかに、すべては撮影、フィクションだと思っている男が入り込んでくることで生まれるギャップが笑いを生み出していく。

軽いノリでテンポよく進んでいく映画の中で、テレビドラマ的な軽さのまま終わらないのは、中心に佐藤浩市がいるからだろうか。生活感のない表層的な登場人物たちの中で、彼が演じる村田大樹だけが今まで生きてきた過去の映画人生を感じさせる、リアルな存在感を持っていて、だからこそ彼がまじめにやっているギャグが余計におかしく感じられる。

映画の世界で生きてきた年月を感じさせる彼だからこそ、映画館の中で自分が大きく映し出されるのを見て涙を流す場面が説得力を持つ。素人が撮った映像のはずなのに、そこには村田大樹が今まで魅せたことのないリアルな表情が映し出されている。舞台上の芝居とは違うリアルな顔が確かにそこには写っている。そのときの光の状況、撮影現場の雰囲気など、様々な偶然的要素に、撮影は左右される。だからそのような奇跡的な瞬間(マジック・アワー)は、いつやってくるかわからない。俳優たちはその瞬間をただ待ち続けている。佐藤浩市や往年の映画俳優柳澤愼一が演じることで、この言葉は重みのあるものになっている。

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接吻
冒頭、やや不安定な足取りで、後ろのポケットに長い柄の金槌を挟んだまま男(豊川悦司)が階段を登っていくとき、この靜かな高級住宅街の平和が破られることを観客は感じ取り、戦慄を覚える。過剰にホラー的な演出はないのに、手に汗をかくような緊張感を感じさせる万田邦敏監督の演出がすばらしい。世界全体に対して見下すような態度と笑顔を集まったテレビカメラに向けながら、男は逮捕される。

テレビに映し出されたこの笑顔が、もう一人の孤独な魂を揺さぶる。おとなしく、一途でまじめであるがゆえに周りに溶け込めず、周りから見下されてきた女性(小池栄子)は、この笑顔に自分が抱いているのと同じ世間への敵意を感じ取る。犯罪者の経歴を調べていくうち、彼女は自分と彼を一種の共犯者と考えるようになる。自分と彼は世間から見下されてきた、今度は私たちが世間を見下す番だ。彼女の妄想は誰に対しても心を閉ざしていた殺人犯を巻き込んでいき、殺人犯は彼女からの婚約の申し入れを受けることになる。面接室での彼らの表情が面接を重ねるごとに変化していく。小池栄子の表情の微妙な変化には驚かされる。

彼らを法の側から、つまり理性の側から見つめていたはずの弁護士(仲村トオル)は、一途な彼女の抱く妄想に巻き込まれ、冷静な観察者ではなく、嫉妬を抱いた三角関係に入り込んでいく。暗い階段で二人が向かい合う場面の異様な緊張感がすごい。ここではまるで弁護士が迷宮に入り込んでしまったかのように感じられる。

わたしはあなた、あなたはわたしと言わんばかりの彼女の妄想には、ひとつ無意識に避けている場面がある。それは殺人場面の具体的な描写だ。夜に彼が見て苦しむ殺人場面の悪夢を、彼女は理解することができない。面接室で、彼女は公園で見知らぬ子供と笑い合いながらブランコをこいだことを語り、彼は子供を打ち殺した場面が脳裏から離れない。黙秘を続けてきた殺人犯は社会に対して口を開こうとしていく。二人は共犯者であり一心同体という彼女の妄想は、殺人という現実の前に瓦解していく。

この妄想の崩壊に彼女がどう対処することになるのか。それが衝撃のラストにつながることになる。二人の間に生じ始めた距離を埋めるために彼女がとった行動は常軌を逸したものかもしれないが、最初から最後まで彼女は一途であり、その一途さが私たちを揺り動かす。たった一人の女性が抱いた妄想が、空間を覆い尽くし、二人の男性を捉え、離さない。場面全体を支配するような小池栄子の存在感に圧倒される。

nobody 27
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