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| プロフィール |
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Author:fumiya
30代。独身。眼鏡。超短髪。あごひげ少々。映画館に通うのが趣味。コメントやトラックバックはお気軽に。
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| レミーのおいしいレストラン |
Aという食材とBという食材を組み合わせると、AともBとも違う全く新しい味がする。この味を発見するために必要なのは、新しい組み合わせを試す勇気。偉大なシェフグストー亡き後、店のスタッフたちは彼のレシピをただ繰り返すことしかできない。まるでウォルト・ディズニー亡き後のディズニーのように。
今回ピクサーが試みたのは、料理とラット(マウスよりも大きく、欧米では不潔を連想する人が多い。)という、全く相性が合いそうにない2つの素材を組み合わせて、上質の作品を作り出すこと。レミーは可愛いツルツルのキャラクターではなく、毛の質感がしっかり表現されていて、彼らの居場所であるゴミ箱や下水道なども描写されている。また、人間がラットにどんな嫌悪感をいだいているのかも、はっきりと最初から表現されている。ゴミ(garbage)を漁って生きてきたレミーの相棒になるのは、garbage boyと呼ばれている雑用係のリングイニ。自分が作った料理を一流評論家イーゴに食べさせるというレミーの挑戦は、ラットが作る料理を観客においしく感じさせるというピクサーの挑戦と重なる。劇場にきた観客の反応を見ると、この挑戦は成功したと言えるだろう、レミーの挑戦と同じように。これを見た小難しい理屈をこねている映画評論家たちは、イーゴのように童心に返っただろうか。
リアルな描写と漫画らしい滑稽な動き。ピクサーはこの2つのバランスをとるのがうまい。レミーがリングイニを操作するやり方は漫画ならではのアイデアだが、トレーニング場面を入れることで観客にリアルに感じさせることに成功している。ラットのちょこまかした動きや調理場面などもリアルに再現されている。クライマックスを大げさなアクションではなくラタトゥーユ(ratatouille、ratにふさわしい料理)の繊細な描写に賭けるという、大人向きの演出はどれくらい日本の観客に受け入れられるだろうか。日本人にはあまり馴染みのない料理なので・・・。
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| サイドカーに犬 |
サイドカーと自転車、二つの乗り物が薫(松本花奈)にとって重要な乗り物として登場する。
小学生にとって両親の存在は絶対だから、親がふらふらしていると子供はどこに立っていたらいいのか分からない。薫はしっかりしていて母親(鈴木砂羽)の言うことを聞く真面目な長女で、父親(古田新太)に対する母親の苛立ちを一番身近に受け止めて育ってきたのだろう。だから、母親の家出は薫にとって、きれい好きで厳しい母親からの一時の解放であるが、だからといってずぼらな父親の持ち込む雰囲気にも染まらず、ベッドの上で真面目に宿題をやっている。一見すると誰にも左右されない「ハードボイルドな」女の子。けれど、薫は心のどこかで、父親との安定した関係を望んでいるのではないだろうか。旅の途中で見かけたサイドーカーに乗った犬の姿に、彼女は自分を重ね合わせる。安心して父親に甘える機会は、ピリピリした雰囲気の家庭にはなかったに違いない。サイドカーに乗る夢は叶うけれど、家族関係は修復されない。父親に対する抗議の頭突きは、大声を上げたりすることのない薫にとっての心の叫びだ。
父親はまだ子供っぽいところを残している人で、弟(谷山毅)にとっていい遊び相手になるし、父親の仕事関係の人たちも遊んでくれる。しかし、ヨーコ(竹内結子)がいなかったら、薫の夏休みは寂しいものになっていただろう。母親や先生の価値観とは違う世界があることを、ヨーコは教えてくれる。ルールに厳しい母親のそばで窮屈に暮らしていた薫にとって、ヨーコとの日々はのびのびとした自由と母親に対する後ろめたさが入り交じったものになっていく。自転車はヨーコが教えてくれた自由の象徴だ。けれど、薫の父親との関係をずるずると続けてしまうヨーコは、本当は薫と同じようにサイドカーの助手席に乗りたかったのかもしれない。いつも人の左側を歩く薫を見て、自分はどちら側を歩けばいいのか分からなくなってしまったとヨーコはつぶやく。薫の頭突きは、ヨーコさんの分も含まれていたのかもしれない、薫の父親からもう来なくていいと言われ、涙ぐむヨーコの姿を薫は見ていたから。
薫の人生の中でヨーコと過ごした時間は短いのに、大人になった薫(ミムラ)の姿を見ると、決定的な影響を受けたことが分かる。釣り堀屋で子供にエサの付け方を教えるときの、子供を子供扱いしないやり方、そして自転車に乗っているときの颯爽とした姿。もう薫は、サイドカーの助手席に乗ることを夢見てはいないのだろうか。
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