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30代。独身。眼鏡。超短髪。あごひげ少々。映画館に通うのが趣味。コメントやトラックバックはお気軽に。

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Kinetic Vision
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蟲師
カタツムリか巻き貝を思わせる阿と吽のように、具体的な造形がはっきりしている蟲が登場する場面は、観客にとって何が起きているのか分かりやすい。ギンコ(オダギリジョー)が見上げると天井に張り付いた阿吽から半透明の触手が伸びてくる場面などはすばらしい。墨で書かれた文字がゆるやかに動きだすという感覚や、それを指や菜箸でコントロールする淡幽(蒼井優)のキレのある動きもいい。日本の山岳地帯の風景や日本家屋の雰囲気にとけ込んだ特撮は、派手な効果を狙ってかえって安っぽく見えてしまうことが多い邦画の特撮の中では、群を抜いている。また、黒沢清の映画から「いま、会いにゆきます」や「スウィングガールズ」までこなす、柴主高秀の撮影も相変わらずすばらしい。

観客にとって難しいのは、トコヤミや銀蠱のようなやや抽象的な蟲たちの存在であり、またこの映画ではそれがギンコの過去の秘密に関わる中心的なエピソードにもなっている。独特の雰囲気がある池の撮影自体はすばらしいが、具体的に何が起きているのか、はっきりとしない場面もある。一応セリフで説明もあるが、作品独特の用語が多く出てくることもあり、ぬいとギンコのストーリーはかなりたどりにくい。また、ぬいを演じる銀髪の江角マキコはビジュアル的には問題ないとしても、あれほど情念を秘めた役に合っている声とは思えなかった。老ぬいのややホラー的な演出も浮いている気がしたし、ぬいのキャラクターを表す演出は残念なところが多い。

蟲の悪影響を受けた人たちを治癒する蟲師ギンコも、自らの体内に蟲を宿している。蟲を根絶するのではなく、蟲を体内から逃がしてやること、そして蟲の悪影響を受けない知恵を教えてやること、それが彼の仕事となる。ギンコ、ぬい、淡幽、彼らは誰よりも蟲に侵されているがゆえに、誰よりも蟲について詳しい。ここに描かれているのは、ただ自然を愛でましょうというような自然愛好ではなく、真の意味での共生だ。

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デジャヴ
ある装置を通してモニターに映される過去の映像はあらゆるアングルから見ることが可能で、これはいわば究極の窃視装置でもある。見える範囲に限定があるとはいえ、これは神の視点に近い。しかし原則としてこの過去の世界に介入することは許されていない。この装置は犯罪捜査に使われているのだが、この装置を使用している人たちは自分が見ている過去に対して、完全に傍観者であり、殺人場面すらなすすべもなく見守るしかない。

現実離れしたこの設定は、現実の私たちの生活とかけ離れたものではない。エネミー・オブ・アメリカでスパイ衛星による監視を描き出したトニースコットは、ここでも同じ問題を扱っている。誰かに見られているかもしれないというクレア・クチヴァー(ポーラ・パットン)の不安は、盗撮、盗聴、監視カメラが珍しくなくなった社会に生きる私たちの不安と変わらない。また、装置の前に座っている捜査員が感じている感情も、私たちがテレビやパソコンの前に座って感じている感情と、それほど変わらない。世界中のあらゆる映像を見ていながら、その世界との距離感を感じてしまい、世界に対してずっと傍観者であるような、奇妙な感覚。

ダグ・カーリン(デンゼル・ワシントン)が苛立つのは、この傍観者という位置なのだ。彼はモニターをたたき壊して叫ぶ。モニターは壊れ、映像は消えた。では、彼女の存在そのものも消えたのか。モニターのスイッチを消し、ある人間の映像が消えることと、その人の存在そのものが消えることは別だ。モニターの向こうの世界にいる彼女に関わろうとするべきだ、彼女の死を傍観するべきではないというのが、ダグの考えだ。しかしこれは時間の流れ、運命に介入して良いのかという、別の倫理的問題を引き起こす。

時間の流れというSF的テーマと、犯罪の捜査や犯人の追跡といったサスペンス的要素をトニースコット監督は巧みに組み合わせている。片方の眼で過去の映像、もう片方の眼で目の前の現実を見ながらカーチェイスで犯人を追う場面は、二つの要素が融合したすごいシーンになっている。

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龍が如く 劇場版
原作のゲームファンは、主人公桐生一馬(北村一輝)が常に画面に映っているような映画を期待していたかもしれない。しかし三池崇史が選択したのは現代東京の繁華街を舞台にした群像劇であり、この映画の主役は神室町という架空の街そのものである。そして桐生一馬はすべてを一人で解決する超人ではなく、この街の住人の一人でしかない。原作ファンは親分、子分、兄貴分など、血縁関係のような濃い人間関係を表す言葉が飛び交う仁義、任侠ものを期待したかもしれないが、暴力団の100億円を巡る争いや過去の因縁話などはほとんど説明もされないし重要視されていない。 スケールの大きな100億のエピソードは、一晩で同時多発的に起こる事件のうちの一つでしかない。また、遥(夏緒)の母親探しという、血縁に基づくメロドラマも、ほとんど前面に出てこない。この映画で100億のエピソードは神室町に紙幣がばらまかれる場面を撮るための口実に過ぎない。その代わり三池監督が描き出しているのは、とっくに実の親とは縁が切れているようなごろつきたちである。現代の東京に生きる人たちを描き出すのに孤独と堕落は欠かせない要素だ。実写で写された夜の東京に、仁義はあまり似合わない。

ヤクザの中で、100億の事件とほとんど関係のない真島(岸谷五朗)が、映画では大活躍する。彼にとって、神室町は遊び場であり、桐生との対決も命がけでありながら同時に滑稽な遊びである。暴力と黒い笑いの混じり合った真島のキャラは明らかに三池監督好みだ。金、あるいはマゾの快楽と引き替えに情報と武器を売る情報屋(荒川良々)も彼の世界にふさわしい。金のない銀行に押し入ってしまった間抜けな銀行強盗、盗みや強盗を繰り返すカップル(塩谷瞬、サエコ)、彼らは目先の金のために短絡的に行動してしまう、滑稽で物悲しい神室町の住人だ。ゲームファンにとっては必要性が理解できないエピソードかもしれないが、夜の繁華街神室町を描くためには欠かせない。取り返しのつかない怪我を負った彼女と彼女を背負って歩く青年を、監督は美しく撮影している。人々が紙幣に群がる堕落した世界の中で、血縁でもなく金によって結ばれた関係でもない、孤独なもの同士、桐生と遥の結びつきが、堕落を免れたピュアなものとして、残される。

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バッテリー
妥協せずに自分自身を表現すること。それは時に周囲から誤解され、ワガママ、身勝手と非難される。母親、教師、上級生から非難される原田巧は、しかし幼稚な反抗ごっこをしているわけではない。冒頭、病弱な弟青波の体を心配して母親は車の窓を閉めるように巧に言うが、彼は従わない。彼は弟が風に当たることが好きなことを知っているから。野球は彼が一番自分を表現できる場であり、弟も野球をしている兄にあこがれている。しかし、弟の想いを感じ取って野球を続けている巧は、母親から病弱な弟のことを考えない身勝手な兄と言われてしまう。風紀委員や教師と対立する彼は、校則を破って喜んでいるわけではなく、教師や上級生の一存ですべてが決まることがおかしいと言っているだけなのだが、上級生は彼を生意気だと思うようになる。周囲の誤解に苛立ち、彼は他人を拒絶するような態度をとるようになり、孤独なマウンドが彼の唯一の居場所となる。

ずっと孤立しながら野球を続けてきた彼に、相棒と仲間ができる。感情を顕わにしない孤独感を漂わせた細身のピッチャーと、人なつっこい笑顔で信望の厚い丸みを帯びた体のキャッチャー。映画初出演のこの二人(林遣都、山田健太)を見つけたことが、この映画の最大の勝因だろう。ピリピリと緊迫した雰囲気を漂わせ硬い表情の多かった巧が、後半に進むにつれて柔らかい笑顔を見せるようになる。病弱な弟(鎗田晟裕)も野球を通じて自分の居場所を見つけていく。

強豪チームとの試合もあるのだが、一番魅力的なのは青い空の下田舎の空き地で友達と笑いながらやる野球の場面だ。この楽しさが野球の原点のはずなのに、いつの間にかそこから離れてしまう。巧が口にする、野球は誰のものですかというセリフ。内申書のために苦行のように野球をする上級生、野球を教育委員会のものと断言する校長、野球を親の許可で「させてやっている」と話す豪の母親、選手たちを徹底的に管理しようとする監督。野球は楽しいキャッチボールから始まった、そんな当たり前のことが忘れられている。この映画で描いているのは試合の結果ではない。ピッチャーとキャッチャー、ピッチャーと守るナイン、そしてピッチャーと相手バッターとの間で濃密なコミュニケーションがあること、それが野球をやる醍醐味だということを、この映画は想い出させてくれる。

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過去をリセットして、新しくやり直すこと。一見前向きに見えるこの態度には、無責任な忘却が含まれている、なぜなら、人は一人で生きているわけではない以上、自分の過去には他人の生が含まれているから。恋人関係、不倫関係、親子関係、それらをすべてなしにして、新しい人生を生きるということは、必然的に他人を切り捨てることを伴い、切り捨てられた過去は、水のように現実の隙間から染みだして戻ってくる。いくら土をかけて埋めても、大地が揺れ、ひびが入り、海の水がしみだしてくる東京の埋め立て地のように。

刑事(役所広司)は何度も耳をふさぎ、目を閉じる。しかし、空気を切り裂くような赤い服の女(葉月里緒奈)の叫びは指の隙間から耳に入り込み、目を閉じても夢の中に女は現れる。見捨てられ、見放されてきた女は、刑事にしっかりと見ることを求めているのであり、おぼろげな姿で現れたりはしない。前作LOFTと同様に、監督黒沢清と撮影芹沢明子が映し出す女性の美しさはすばらしい。

赤い服の女の憎悪は、自分を虐待した存在に向けられているのではない。自分に視線を向けていながら、積極的に関わりたくないので見なかったことにしてきた、不特定多数の視線こそが問題になっているのであり、自分はここにいるという叫びは、一人に向けられているわけではない。いわば都市に住む人々全体が呪われているのだ。ワタシハシンダ、ダカラミンナモシンデクダサイ、ワタシハシンダ、ダカラミンナモシンデクダサイ・・・。そしてみんな、自分たちが忘却した過去の海へと引きずり込まれていく。

しかし、すべての過去を記憶することはできない。過去は幻、もう一人の女(小西真奈美)はささやく。すべて忘れて、前に進んでいけばいいよ、とやさしく語りかけ、相手を赦し、受け入れる女と、私を思い出せ、私の叫びを聞け、私を見ろ、と詰め寄る女。過去からの声は二つに分裂している。しかし、優しく赦す女もまた、最後には叫び、その声は男には届かない。過去の残滓である骨を拾い集める男はどこに向かえばいいのか。アカルイミライへか、過去の償いへか。


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