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30代。独身。眼鏡。超短髪。あごひげ少々。映画館に通うのが趣味。コメントやトラックバックはお気軽に。

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Kinetic Vision
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どろろ
暗い過去を背負った孤独な二人が出会い、旅の道連れとなり、危機を切り抜けていく。殺気を漂わせ無口な百鬼丸(妻夫木聡)と小太鼓を打ち鳴らし騒騒しいどろろ(柴咲コウ)という組み合わせも悪くない。百鬼丸が魔物を倒し体を取り戻していく過程と、彼がどろろとの絆を深めるにつれ人間的な感情を獲得していく過程が重ねられているという点も面白い。中盤までは次々と魔物を倒し先へ先へと進んでいく。

ところが親子の愛憎劇という重いドラマが後半の中心になると、物語は勢いをなくし、躍動感があった二人の役者は苦悩を表現する演技を始め、映画のテンポは鈍っていくように感じられる。「カナリア」では草原の中で少年少女を見事に疾走させた塩田監督だが、終盤のクライマックスで舞台になっているニュージーランドの広い荒野が十分生かされているようには思えない。あの広い空間でやっていることは親子の心理的な家庭劇というのは、なにかちぐはぐな印象を受ける。また、孤独ゆえに凄みを感じさせた主人公たちが、終盤この心理劇が始まると普通の青少年のように見えてきてしまうのもがっかりさせられる。悩みがあるとは言っても百鬼丸は異形の者であって、その異様な雰囲気を失ってはいけないのではないか。

中盤までは魔物たちとの戦いがメインであり、魔物の造形はやや子供っぽく、香港のチウ・シントンが担当したアクションも荒唐無稽なものだ。終盤で中心になるのは演技派の中井貴一や原田美枝子が中心の真面目な親子の愛憎劇で、斬り合いの合間にも父子の心理的葛藤が挿入されるのだが、これがアクションのテンポを悪くしている。中盤まで特撮も駆使した派手な戦いを見せられた後で、ここだけ中井貴一が生真面目な殺陣をするのもバランスを欠いている。子供の肉体と引き替えに魔物に力を与えられているのだから、最初から荒唐無稽なデフォルメされた存在であっても良かったのではないか。各方面からいろんな有名スタッフが参加しているが、作品に統一感が欠けている気がする。

個人的には、中盤までの荒唐無稽なアクション(ただし造形はちょっと子供向けすぎるが)で、他に味方もいない孤独な二人が戦う、という形で最後までやってほしかった。子捨て寺のエピソードで、子供たちの魂は百鬼丸に感謝することはあっても、捨てた親の元に戻ったりはしない。親子や兄弟の情を取り戻す、というような湿った話に持って行くよりも、荒野の中に佇む孤独な二人、という乾いたイメージを最後まで持続した方が良かったような気がする。村人に石を投げつけられる異形の者百鬼丸と、異形の者を指す名前を引き受けることで百鬼丸の連れとなるどろろ、帰る場所も味方もない二人の絆は映画の題材として魅力的なものだと思う。

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マリー・アントワネット
冒頭、彼女の意志とは無関係に、政治のための結婚は決まっている。フランスへと向かう馬車の中でペットと戯れ、付き添いの少女たちと遊び、眠る姿は、遠足や修学旅行の時の10代の現代女性と変わらずあどけない。しかし、もうすべては決められていて、彼女に選択の余地はない。ヴェルサイユ宮殿へとつながる道は一本で、別の道を行くことも、引き返すことも許されない。そして観客はその道が断頭台へと続いていることも知っている。

ヴェルサイユ宮殿での生活は、一般人から見れば夢のようだ。、しかし、彼女はここで世継ぎを生むことを期待され、その役割から逃れることはできない。しかも、その役割を果たすには彼女も夫の皇太子(ジェイソン・シュワルツマン)も幼すぎる。どんなに広くても、ここは彼女にとって一種の牢獄であり、皮肉なことに彼女がここから解放されるのは革命によって地位を追われるときなのだ。

人生を決める選択を許されない彼女は、代わりに消費することに自由を見いだす。どんな服を着るか、どんな髪型にするか、どんなケーキを食べるか・・・。当時の風俗を再現しただけではなく、今のポップな感覚が生かされていて、音楽もクラシカルなものとテクノが混じり合っている。現代の観客が見ても楽しいものに取り囲まれた生活の裏には、いつも虚しさが貼りついている。豪華だが形式張った生活の外に彼女はあこがれる。プチ・トリアノンで彼女は自然に囲まれた生活を始める。もちろんこの建物も宮殿の敷地内にあるのだが、彼女にとってここでの生活は宮殿生活の外を意味する。ルソーを読み、どんな役割にも縛られない大自然の中の自由を彼女は夢想する。

ところが、革命が起き、身に危険が迫ったとき、彼女はこの役割を最期まで全うしようと決意する。歴史、運命によって与えられた自分の地位を、彼女は夫とともに受け入れる。宮殿での最後の晩餐で、彼らは今まで以上に国王らしく、王妃らしく見える。

この映画がそっくりさんによって歴史を再現しようとしたものではないことは、キルスティン・ダンストが英語で演じていることからも明らかで、ケーキも今店頭に並んでいるようなものが多く登場している。無邪気な10代の少女から子を失った30代の母までを一人で演じ、消費することの楽しさと虚しさを感じさせるキルスティン・ダンストがすばらしい。

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ディパーテッド
What's the difference? 警官の世界とギャングの世界、それぞれの世界に相手側のネズミ(スパイ)が潜入し、同僚を裏切り続けている。ギャングのボスコステロ(ジャック・ニコルソン)が描くスケッチのように、ネズミだらけの世界。警察の側にも裏切り者が複数いて、神父は性犯罪を犯す。この世界にはもはや道徳的規範はない。

犯罪者や堕落した家族、親戚に囲まれて育ちながら、そこから離れようと警官になったビリー(レオナルド・ディカプリオ)は、潜入捜査を命じられ、離れたかったはずの犯罪者の世界に身を置くことになる。ここでの彼の苦悩は、身分がばれることへの恐怖だけではない。他の犯罪者と同じように暴力をふるい、平然としていられる自分への嫌悪感。しかし、この嫌悪感は彼がこのモラルなき世界の中で良心を持ち続けている証拠でもある。暴力場面での獣のような目つきと苦悩する表情をディカプリオが見事に表現している。

コステロに育てられ警察内部に送り込まれたコリン(マット・デイモン)は、忠実にネズミとしての任務をこなすが、その役割に重圧を感じ続けている。窓から議事堂が見える部屋を新居に選んだ彼は、より大きな野心を抱いていて、いつまでもギャングの手下に甘んじているつもりはない。

departedとは死者のことだが、deaprtにはある場所から出発する、軌道から逸れるという意味がある。二人のネズミには安心して戻れる場所もなく、今いる場所では身分がばれる恐怖に苛まれる。ビリーは本来いるはずの場所から引き離され、暴力を振るい続ける毎日を強いられ、警察に戻ることも許されない。コリンはギャングの汚れた世界に戻るよりもエリートとしての出世街道を歩きたいと思っていて、その機会をうかがっている。彼らは唯一安心できる場所として、同じ精神科医(ビーラ・ファミーガ)を選ぶ。ビリーにとっては犯罪者としての自分から本来の繊細な自分に戻れる場所であり、コリンにとってはエリートとしての生活を始める出発点となるはずの場所。

この裏切りのゲームにおける、真の勝者は誰なのか。誰もが正常な道から逸れて(depart)いく世界の中で、唯一真摯な恋愛関係としてビリーとマデリンの関係が描かれ、マデリンは妊娠する。無情な世界の中に残される唯一の希望の光。映画評論家の町山智浩が指摘しているように、マデリンという名前がアイリッシュのようなカトリックにとって特別な存在であるマグダラのマリアのことを指すことを考えれば、これは宗教的な意味さえ持つ。一方、コリンには、ビリーが残した手紙を読んだマデリンによってもたらされるある結末が待っている。

インファナル・アフェア
インファナル・アフェアアンディ・ラウ アンドリュー・ラウ アラン・マック

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