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Author:fumiya
30代。独身。眼鏡。超短髪。あごひげ少々。映画館に通うのが趣味。コメントやトラックバックはお気軽に。

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Kinetic Vision
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ありがとう
古市忠夫という実在の人物を赤井英和が演じているのだが、外見は似ていなし、赤井英和は誰かになりきろうとしているというよりも、関西ローカルのテレビに出ているときと変わらないいつもの赤井英和として動き、しゃべっている。しかし、頼りがいがあるのかないのかつかみどころがなく、それでいて人望がある下町の関西人のおっちゃんが、画面上にちゃんと存在している。「下町の関西人のおっさん」をそのまま体現しているという点で、他のどんな芸達者な役者よりも、彼はこの役にぴったりだ。吉本のお笑い芸人が顔を出しても違和感なく、河島英五の歌が流れ、田中好子との掛け合いも夫婦漫才のように見える、そんな世界が彼にはよく似合う。

震災の場面(自分の居場所が失われ、すぐ側にいた人が呆気なく死んでいくという恐怖が的確に描かれている)とゴルフの場面はそれぞれ良くできているものの、二つを違和感なく組み合わせるのは難しい。二つをつなぐ役割を果たしているのは下町の人々とのやりとり(自分で考えた訳の分からない練習を下町でしている)と、家庭での妻とのやりとりだ。震災後には町の先頭に立ち妻を感心させたかと思えば、その後は働かずぐうたら暮らし、急に思い立ってプロゴルファーになると言って妻を呆れさせる。このつかみどころのない男のキャラクターが、映画の前半と後半を強引につないでいる。

震災やゴルフの場面のように広い空間を使ったシーンから、家庭内の狭い空間を使ったシーンまで、万田邦敏監督は的確に演出している。特に家庭内の場面では、彼が室内の狭い空間を見事に演出したUnlovedの監督でもあることを、想い出させてくれる。

UN loved
UN loved万田邦敏 万田珠美 森口瑶子

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stars重厚な台詞に馴染めるならば
starsすごい!!!!!

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プラダを着た悪魔
ファッション雑誌のカリスマ編集長ミランダ(メリル・ストリープ)にアシスタントとして付くことになった、ファッションに全く関心のないジャーナリスト志望の女性アンディ(アン・ハサウェイ)。編集長から次々に常軌を逸した指示を出され振り回されることになるが、この様子がテンポ良くコミカルに描かれる。ひどい扱いをうけながらも、彼女は潜在能力を発揮し始め、編集長の側に常にいる存在になっていく。仕事の能力もファッションセンスも磨かれ、華やかな世界に身を置いて変身していく彼女の様子はこの映画の見所だ。しかしそれは、私生活の時間をも仕事のために費やすことを意味し、彼氏も友人も彼女の元を離れていく。一見華やかだが、裏舞台では隙あらば相手を出し抜き裏切る厳しい業界にとどまることを選ぶのか、それとも別の道を選ぶのか。

編集長ミランダも私生活のすべてを犠牲にしている。離婚とそれが及ぼす子供への影響を語る彼女の、あの疲れ切った表情。彼女と同じ道を歩むということは、結局そういう犠牲を受け入れた上で仕事の世界で成り上がっていくことを意味する。仕事に自分の時間のほとんどを費やすような女性を支えるような主夫を見つけることは、男性が主婦を見つけるよりも難しく、家庭生活は成立しない。

有能で職場から必要とされ、彼氏からも必要とされるアンディのような女性は、そのバランスをどこでとるかが難しい。ミランダのような生き方は一方を他方のために犠牲にした極端な例だが、働き続ける女性たちにとって悩みの種であることは間違いない。コメディタッチの映画ではあるけれど、主人公の抱える問題は切実で、働いている人なら共感する人は多いと思う。

プラダを着た悪魔
プラダを着た悪魔サントラ マドンナ ビター・スウィート

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starsこれはよいと言い切れる

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手紙
犯罪に巻き込まれたくない、犯罪から離れた場所にいたいという気持ちは誰もが持っている。そしてその気持ちは、犯罪にかかわったことのある人間から距離を置いていたいという気持ちにつながり、さらには犯罪者の家族に近づきたくないという心情にまで行き着く。電機会社の会長(杉浦直樹)が言うこの自己防衛本能は、子供を持つ親になればさらに強くなる。朝美(吹石一恵)の父親(風間杜夫)や社宅の母親たちのようにはならない、と言い切れる人間は少ないはずだ。

距離を置くという消極的な行動は、やがて家のドアへの落書きやネットへの匿名の書き込みといった攻撃的な行動にまで発展する。攻撃しても罪悪感を持たずに済む相手への攻撃は執拗に続く。匿名の市民たちによって、犯罪者の弟である直貴(山田孝之)の人生は壊されていく。住居、職場、恋愛関係、あらゆる居場所を奪われ、あらゆる人間関係は切られていく。そしてついに、執拗な差別は彼の幼い子供にまで及ぶ。「ひとごろし」の言葉の意味さえ知らない子供が、人殺しの娘と中傷される。

剛志(玉山鉄二)と直貴、二人の兄弟は暗い影を背負っている。素性を隠して生きねばならない弟は孤独感を漂わせている。刑務所にいる兄もまた、他の受刑者と会話をする場面は全くなく、孤独に懺悔の日々を送っている。しかし、兄は自分が作り出した影が弟と弟の妻、子供にまで及んでいることをまだ知らない。

直貴は逃れようのない暗い運命を背負わされた人間だが、由美子(沢尻エリカ)は自ら進んで彼の運命を共に背負おうとする。子供が差別にあったとき、夫に向かって「逃げへん」と関西弁で言うときの沢尻エリカのまなざしの強さには見ていて圧倒される。絆をつなぎ止めるために、彼女は手紙を書き続ける。

匿名の落書き、ネット上の書き込みが関係を断ち切るものならば、手紙はその対極にある。孤独な兄にとっての唯一の絆。しかしそれすら、彼は断念しなくてはならない。彼の手紙のせいで過去を終わらせ、過去から決別することができない被害者の家族がいる。彼と血がつながっているというだけで差別される人たちがいる。絆を断ち切ることで娘を守ろうとする直貴が正しいのか、絆を断ち切ってはいけないと考える由美子が正しいのか。

加害者がどこまで自分を追い込めば、私たちは彼を赦し、受け入れることができるのだろうか。もはや手紙を書くことさえ許されない剛志が最後に見せる、贖罪の姿。もちろん、あらゆる犯罪者があのような祈りの境地にまで達するするわけではない。しかし、犯罪を恐れる気持ちは誰もが持っているとはいえ、殺人犯である彼のあの祈りを受け入れられない社会は、どこか歪んでいるのではないか。

手紙 ~あなたに会えてよかった~
手紙 ~あなたに会えてよかった~山田孝之 玉山鉄二 沢尻エリカ

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stars映画公開前だが

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DEATH NOTE デスノート the Last name
月(藤原竜也)とL(松山ケンイチ)。犯罪のない世界を望むという点では一致しているはずなのに、犯罪者と探偵という立場で対決することになる。もちろん、決定的に異なるのは、犯罪を抑止する手段としてデスノートを使うことを認めるかどうかという点にある。それは、複数の人間が合議によって量刑を決定するという法律に基づくシステムと、デスノートの所有者が単独で死刑を実行するというシステムの、どちらが理想なのかという問題でもある。人はしばしば遅々として進まない裁判、納得のいかない量刑にいらだち、また治安を守る力が法律にあるかどうか不安になることがある。そういうとき、人は神のような超人的力によって即断で裁く人間を欲するかもしれない。法律を信じる父(鹿賀丈史)から六法全書を贈られた息子は、自らが神のような存在になることを欲する。

これは死刑論議のような人道の問題ではない。Lは何度も死刑台に送るという言葉を使っているし、死刑囚を捜査の道具として使うことさえある。 彼がこだわっているのは、形式の問題、つまり物証をそろえ犯人を確保し、法律が処理できる形で事件を解決するということだ。その過程において、違法捜査に近いことすら行ってはいるが、証拠を挙げて犯人が反論できない形に持ち込むことが彼の理想になる。彼の前にデスノートがあったとしても、彼はそれを使って世界の神になろうとすることはないだろう、なぜなら彼はワタリ(藤村俊二)を窓口にして外界との接触をできるだけ避け、捜査という形以外で世界と接触する気がほとんどないのだから。もちろん、このこだわりは彼の戦いを難しいものにする。月がLを殺せばそれで目的を達成できるのに対し、Lは決定的証拠をつかむことで事件を解決しなければならない。一見ゲームをやるように捜査をしているように見えるLが、どれほどの決意を持って証拠をつかもうとしているかということを、僕たちは映画の終盤に知ることになる。

恐ろしいのは、デスノートという道具が持ち主の人格を変えてしまうということだ。月は記憶を失っている間、Lと匹敵するような有能な捜査官として活躍する。デスノートと出会わなければ、あれが彼の人生だったはずだ。白いジャケットを着た月と黒いジャケットを着た月、一人の人間に二通りの人生があり得る。他の二人のノート所有者も同様で、ミサ(戸田恵梨香)は他人を傷つける腕力など全く持たない少女だし、高田清美(片瀬那奈)も職場に不満をもつ、多くの女性の一人として生きていったはずだ。ところが、デスノートは彼らの中にある、というよりもほとんどの人間の中にある殺意を引き出してしまう。デスノートを持たなければ単なる嫉妬、恨み、苛立ちの感情で終わっていたものが、ノートを持つことで明確な殺意へと変わる。

真に客観的な立場で正義を行うことなど、不可能だ。ミサにとって、恋人の邪魔をするものはすべて殺すべき敵だ。それよりは客観的な立場でノートを使い始めたはずの月や高田の場合も、邪魔をするものは殺す、という傾向が強まり、歯止めが効かなくなっていく。単独で決めている以上、主観的な偏りを是正するものは存在しない。新聞紙上で報道された犯罪者と、彼らが主観的に邪魔と判断したものの名前が、ノート上では区別なく並んでいて、おそらく彼ら自身その区別がつかなくなっている。そして、絶対的権力をふるうことには、快楽が伴う。月の、ミサの、高田のあの気味の悪い笑み。もはや、彼らは誰の名前を書くことも躊躇しなくなっていく。

恋人と自分を妨げるものが何もない世界。正義が社会の隅々まで行き渡って誰も違反を起こさない世界。あまりにも純粋な理想を持ち、異物の存在を許せないような人間が、デスノートの魔力にはまっていく。理想が美しいが故に、理想を達成するための手段が正当化されてしまう。彼らは理想の社会をもたらす存在なのか、恐怖政治を行っているに過ぎないのか。月は犯罪者を裁く神なのか、大量殺人犯という犯罪者の一人に過ぎないのか。新世界の神なのか、死神にとっての退屈しのぎの道化なのか。

DEATH NOTE DEAD OR ALIVE ~映画「デスノート」をアシストする特別DVD~
DEATH NOTE DEAD OR ALIVE ~映画「デスノート」をアシストする特別DVD~藤原竜也 松山ケンイチ 戸田恵梨香


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ただ、君を愛してる
「いま、会いにゆきます」の市川拓司の小説が原作。この作品と共通する部分は多い。体に問題を抱え、それが原因で周囲と距離を保っているが、根は優しい主人公。彼を優しく受け入れる女性は、致命的な病に冒されているので、二人が一緒に過ごせる時間は限られている。敵意や悪意を持たない善良な人々が二人を見守っている。そして現実の雑音をすべて遮断しているような、美しい森の閉域が二人を優しく包み込んでくれる。同時期公開の「虹の女神」と比べると、大事な人との限られた時間、という物語は共通するが、「虹の女神」にある生々しいリアルが、ここでは徹底的に排除されている。就職活動に苦しみ、職場でもひどい扱いを受けたりして、そう簡単に夢を叶えることができない「虹の女神」の大学生たちに比べ、この映画の大学生たちはあっさり海外での就職を決め、主人公二人もカメラマンになる夢を叶える。

このラブファンタジーの世界にリアリティを与えるのは、俳優たちだ。優れた俳優というのは、赤絨毯の上でいつもオーラを出しているような人たちのことではなくて、必要なときにはそのオーラを消すことができる人たちのことを指すのだろう。静流を演じる宮あおいは、異性としての性的魅力を感じさせないけれど、変わり者だけどキュートで可愛らしい女の子として登場する。内に秘めた女性としての魅力は、眼鏡という小道具を外すことで表に現れるのだが、ただ顔が変わるだけではなくて、彼女が持っている雰囲気自体が変わってしまう。圧巻なのは静流の展覧会で出てくるセルフポートレイトで、本当に彼女が何年もかけて成長したかのように見えてしまう。玉木宏もまた、本来持っている魅力をある程度押さえて頼りない顔をしながら、時々カメラを構えたときにそのりりしい表情を見せるようにしている。彼もまた、静流の展覧会でたくさん出てくる写真の中では、魅力的な表情を見せている。

宮崎あおい 2007年 カレンダー
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