プロフィール

Author:fumiya
30代。独身。眼鏡。超短髪。あごひげ少々。映画館に通うのが趣味。コメントやトラックバックはお気軽に。

最近の記事

カテゴリー

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

FC2カウンター

Kinetic Vision
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

虹の女神
いっしょに缶ジュースを飲んだり、たわいもない話をしながら一緒に歩いたり、なにげなく空を一緒に見上げたり、そんな日常のなんでもない時間を共有してくれる人は、僕らにとってかけがえのない人になる。そんな人はめったに見つからないのに、そばにいるときにはそのことに気づかない。この映画で熊澤尚人監督が描いているのは、あおい(上野樹里)と智也(市原隼人)がいっしょに過ごしたそんななんでもない日常的な時間。そしてその時間は二度と取り戻すことも、やり直すこともできない。

智也の未熟さというのは、男性なら若い頃に経験した人が多いだろうし、女性はそういう男性の未熟さにじれったい思いをした人も多いかもしれない。もちろん、智也は恋愛をしたいと思っていて、ストーカーまがいの行為をしたり、ラブレターを書こうとしたりするのだが、女性の出しているサインをことごとく読み違えている。あおいはその頼りなさや鈍感さも含めて彼を愛しているのだが、智也はそのことに気づかない。あおいはある種の恋愛上手の女性たちのように、男性に分かりやすいサインを出すことはできない。それでも、映画を見ている観客は、あおいが智也を見つめる表情やしぐさから、彼女の切ない気持ちを感じ取ることができる。

アメリカに発つ前、会社の屋上であおいは彼女にとって精一杯のサインを智也に出す。ここで智也は気づいていないというよりも、その未熟さ故にそのサインを正面から受け止めることができない。これは若い男女にとって典型的なすれ違いなのかもしれない。女性のほうが恋愛に関して成熟して先を行っていて、男性は相手を十分に理解することができない。その一方で、女性は男性が決断して引っ張ってくれることを待っている。智也がそばにいる限り、彼女は彼にどうしようもなく惹かれてしまうし、それでいて智也がその気持ちを受け止めてくれる気配は全くない。だから、あおいにとってのアメリカ行きはこの袋小路から出るためのきっかけに過ぎない。引き留めてさえくれれば、行く必要はなかったはずの旅。

二人の間に流れている親密な空気を誰よりも感じ取っていたのは、あおいの妹かな(蒼井優)だろう。目が見えず容易に心を開かない彼女は、おそらく智也との初対面の場面からそれを肌で感じて、彼とはすぐに打ち解ける。この映画の観客に必要なのは、かなと同じように二人の周りに流れる空気を感じ取ることだ。それは、あおいがフジカZC1000で撮ったコダクローム40のフィルム上に定着しているあの木漏れ日や夕日の中にもあるし、二人が空にかかっていた不思議な虹を見上げる場面の、湿った空気の中にもある。

Rainbow Song―虹の女神PHOTO BOOK
Rainbow Song―虹の女神PHOTO BOOK井上 貴之


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


スポンサーサイト
父親たちの星条旗
写真にはフレームがあり、カメラマンは撮影の時に構図を考え、フレームの内に入れるものと外に出すものを選別する。写真が現実を写すといっても、それは当然撮影者によって選ばれた現実の一部にすぎない。ところが人はそのことをしばしば忘れる。硫黄島で米兵が国旗を掲げる有名な写真を見たものの大半は、その写真の外側に広がる地獄絵図を想像することができない。戦争の「英雄」たちに拍手を送るものたちの大半は、無数の無名の兵士たちが血を流している戦場を見ようとはしない。

戦場から呼び戻された三人の兵士たち(ライアン・フィリップ、ジェシー・ブラッドフォード、アダム・ビーチ)は、写真に写っていた英雄として喝采を浴び、戦争国債を売りたい政府に利用される。上手く適応して自分を売り込もうとするものもいれば、戦場とのギャップに耐えきれず酒におぼれる者もいる。あの写真を見て安全な場所で勝利に酔いしれている者たちは、戦場での彼らの生活も、戦後の彼らの生活も想像することはない。彼らは戦場で敵の銃弾に傷つき、国に戻って周りの無理解と無神経な振る舞いに傷つく。イーストウッド監督はこの映画で最前線の兵士たちの目から見た戦争を描いている。彼らにとって戦争は終わっていない。一度戦場に行ったものは、戦争から逃れることはできない。それは生涯、兵士たちを苦しめ続ける。

無名の兵士たちは戦場から帰れば無名の市民たちに戻っていく。しかし、有名になってしまった三人の兵士にはそれすら許されない。彼らは戦争について話すことを求められる。血なまぐさい戦場の真実ではなく、適度に人の愛国心と好奇心を満足させる戦場の美談を。あの写真には兵士たちの顔は写っていない。皮肉なことに、無名の兵士たちの行為を写し取っている写真が、人々の好奇心を刺激し、彼らを有名にしてしまう。しかし、莫大な額の国債を売ることに貢献した彼らの手元には、何も残らない。学歴などの有利な条件を持たない彼らには、戦争前と同じ生活水準の暮らしが待っている。

衛生兵、と呼ぶ声が戦場のあちこちから聞こえる。衛生兵ドクはその声に応え、銃弾が飛び交う中を走り続ける。しかし大半の兵士は手当の甲斐なく死んでゆく。その記憶は、年老いて死ぬ間際まで彼の頭を離れない。彼の行為は、目の前にいる、生身の体を持ち、血を流している戦友たちのためのものだ。「戦友」のためにしたことが「国」のため、と言い換えられる。確かに、戦争は国と国との戦いだが、味方の誤爆で命を落とすものさえいるような戦場から帰還したものは、この言い換えに違和感を覚える。衛生兵、と呼ぶ兵士たちは、どんなひどい傷を負っていても生きることを望んでいる。今も世界中の戦場で聞こえる兵士たちの声を、僕たちは聞き取らねばならない。

硫黄島―太平洋戦争死闘記
硫黄島―太平洋戦争死闘記リチャード・F. ニューカム Richard F. Newcomb 田中 至

おすすめ平均
starsアメリカ側からの視点
stars戦争はダメ
stars争いのない世界を・・・

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


ブラック・ダリア
ブライカート刑事(ジョシュ・ハートネット)のいる世界はすべてが二つに分裂している。ボクサー時代の好敵手、現在の相棒ブランチャード(アーロン・エッカート)は自分とは正反対のタイプだ。氷と炎。しかしそれは鏡像のように似ているとも言える。彼らはかつてリング上で向かい合い、今はケイ(スカーレット・ヨハンソン)という美しい女性を挟んで向かい合っている。

そんな二人の前に、二つに切断され、口を引き裂かれた女性の死体が登場する。ブラックダリアと呼ばれるこの女性(ミア・カーシュナー)の登場をきっかけに、ブライカートのいる世界は分裂を繰り返し崩壊していく。ブランチャードはブラックダリアと呼ばれる女性の死体に、殺された妹の姿を重ね合わせ、異常な執念で事件を追おうとする。ケイの体にはBDの文字が刻み込まれている。ボビー・デウィット/ブラック・ダリア。ブライカート、ケイ、ブランチャードの、それなりに安定していた三角関係は崩壊していく。

分裂は加速していく。ブラック・ダリアに似た、富豪リンスコット家の長女マデリン(ヒラリー・スワンク)という女性の登場。今度はブライカート、ケイ、マデリンの三角関係が形成される。体にBDと刻まれた女性と、BDに似ている女性の間で揺れ動くブライカート。さらに、リンスコット家にも秘密の三角関係がある。ボビー・デウィットの出所によって、ケイとブランチャードの間にも三角関係が生じる。そして二人が一人を奪い合うとき、悲劇は起こり、三角関係は崩壊する。

ブライカートは生きているブラック・ダリアに会ったことはない。しかし、捜査を続けるうち、彼女のイメージが分裂、増殖してブライカートの世界を脅かす。オーディション・フィルム、ポルノ映画・・・出会った異性をことごとく誘惑しようとする女性。カラスが食いちぎった死体の肉片をばらまいているかのように、ブライカートが見る映画、絵画、あらゆるところにBDのイメージが現れる。

誰かを撮影すること。それは被写体を現実と虚像に分裂させることであり、ブライアン・デ・パルマは映画そのものの禍々しさをテーマにした犯罪映画を作ることに成功している。

ブラック・ダリア
ブラック・ダリアジェイムズ エルロイ James Ellroy 吉野 美恵子

おすすめ平均
stars消費社会の暗黒
starsハリウッド・バビロン 夢魔は現実となり、そしてまた夢魔の小説へ(映画公開間近)
starsエルロイ入門に最適です。
starsショージキ、疲れました
stars読み手をあざ笑うかのような巧みなストーリー

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


ワールド・トレード・センター
瓦礫の下で横たわり続ける警官たち(ニコラス・ケイジ、マイケル・ペーニャ)。彼らは超人的な活躍で人々を救うわけではない。救出活動をする前に、彼らは瓦礫の下に閉じこめられてしまう。ほとんどの人々にとって、あの出来事は個人の努力で避けられるものではなかった。身動きが取れず、完全に受動的な立場に立たされた彼らは、家族を想い続けることによって生き延びようとする。

アメリカはこの事件の後、イラク戦争に突入することでこのときのトラウマ、相手から攻撃を受けるという受動性から逃れようとしていたように見える。不安の根源をすべて「力」によって取り除くことができる人がいたらその人は超人だが、そういう超人にあこがれるようなところがアメリカ人にはあるような気がする。しかし、オリバー・ストーンは全く身動きが取れず受動的な状態に置かれた彼らをアメリカ人の代表として描く。

警官の家族もまた、受動的な立場に立たされる。彼らは自分で救出活動できるわけではない。精神的に不安定な状態で連絡を待ち続けるしかない。最悪の事態を想像して、神経をすり減らしながら、彼らは耐え続ける。

瓦礫の下で、警官が聞いたのは妻の"I need you"の声。自分が誰かから必要とされているという感覚が、警官を救う。救出活動に参加する人々もまた、自分の力を必要とする人々がいる、という確信に突き動かされている。神に呼ばれているような気がする、というちょっと変わった元海兵隊員は、おそらく日常生活では自分の居場所を見いだせないのだろうが(アメリカにはそういう元兵士がたくさんいる)、戦場のようになったニューヨークで自分の居場所を見いだす。

ここで描かれている人々の善意は美しいが、気になる点もある。僕たちはこの善意の高まりがやがて愛国心の高揚につながっていったことを知っている。オリバー・ストーンはアメリカ国旗をほとんど写さないことによってなんとかそれを避けようとしている。しかし、最後に善と悪という言葉を主人公に使わせることで、善意の人々が悪に攻撃された、という単純化された図式を持ち出してしまっている。キリストの声に導かれたものがキリストの幻覚を見たものを助ける、というこの物語において、善意の連帯の外側にいる「悪」とは何を指すのだろうか。

REQUIEM World Trade Center
REQUIEM World Trade Center佐藤 秀明

おすすめ平均
stars芸術的な本

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


涙そうそう
土井監督の前作「いま、会いにゆきます」と同様、悪意のほとんど存在しない優しい世界が、穏やかなタッチで描かれている。もちろん、現実の社会を背景にしているのだから、「いまあい」の陸上競技会での妨害やこの作品の土地に関する詐欺、家族を捨てる父親、二人の破局を望む恋人の父親など、他者を傷つける人間は存在するが、主人公たちの周りには彼らを見守る優しい人たちがたくさんいる。また、前作の舞台だった諏訪の森と同じように、この作品では沖縄の美しい自然が彼らを取り囲んでいる。

前作の竹内結子が「夫と子供への優しさ」という感情だけを抽出してできあがったような透明感のあるキャラクターだったように、この作品で妻夫木聡が演じる洋太郎は「妹への優しさ」という感情を純粋培養してできあがったようなキャラクターだ。 彼らは見返りを求めずにひたすら相手に優しさを送り届ける。前作の竹内結子がケーキや絵本を子供に届け、夫に日記を残したように、妻夫木聡も、妹カオルが落としたぬいぐるみを渡す行為から始まり、妹にいろんな形で優しさを送り続ける。

主人公たちの優しい関係は、危うい土台の上に成り立っている。「いまあい」の場合、竹内結子は記憶をなくしていて、親子関係や夫婦関係を一から作り上げなくてはならない。同じように、妻夫木聡と長澤まさみは血縁関係という土台で支えられていない。血がつながっていれば、長澤まさみの父のように、ほとんど育児をしていなくてもとりあえず父と名乗ることはできる。しかし、血のつながっていない妻夫木聡は身を削って努力して兄であり続けねばならない。少しでも油断すれば、血のつながっていない彼らは他人に、あるいは恋人になってしまう、それでは母との約束を守ることができない。だから兄であり同時に父の代わりでもあらねばならない彼の優しさは、のんびりとしたものではなくて命を削るようなものになってしまう。

土井監督の描く世界において、優しいふるまいは穏やかだが弱々しいものではない。優しく握られた手には、実は必死の想いが込められている。

妻夫木聡×長澤まさみ『涙そうそう』 photo story book
妻夫木聡×長澤まさみ『涙そうそう』 photo story book
おすすめ平均
stars映画を思い出してじーんとします。

Amazonで詳しく見る
by G-Tools



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。