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Author:fumiya
30代。独身。眼鏡。超短髪。あごひげ少々。映画館に通うのが趣味。コメントやトラックバックはお気軽に。

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DEATH NOTE デスノート 前編
部屋に少年が一人いるところを想像してみる。そこには衛星放送もインターネットもあり、世界中の情報が部屋の外に出なくても手に入る。やがて、情報を収集し、解釈しているうちに、少年は世界全体を知ったような気になり、さらには世界全体を自在に操れるような妄想に陥るかもしれない。

もちろん、これは幼い妄想に過ぎない。世界についての情報を知ることと世界の中で生きることは別であり、自分が世界を俯瞰しているのではなく自分は世界のほんの一部分にすぎないことを、人は現実の体験を通して知っていく。

しかし、情報を操作することが現実を操作すること同じになったとしたら、どうだろう。例えば、ある人の名前と行動を書くことで、その人を操れるとしたら。現実をあまり体験していない学生でも、世界を動かすことが可能になる。

デスノートは、ある人の名前と顔を知っていれば、その人を殺すことが可能になる。つまり、世界についての情報を知っているだけで、自分の部屋にいながら世界を動かすことができる。アメリカの大統領を脅すことさえ可能だ。主人公夜神月はデスノートを拾うことでこの力を手にする。

もう一人の主人公Lも、部屋にいながらにして大きな力を手にしているという点では、月と似ている。彼は世界中の選りすぐりの警察官を動かす力がある。彼は血なまぐさい現場に直接赴くのではなく、現場から届く情報を元に、自分の部屋でお菓子を食べながら事件を解釈、推理する。多くのモニターの前に座っているLというのは、彼のキャラにふさわしい姿だ。

もう一度、最初に思い描いた少年像に戻る。彼は世界の様々な出来事についての意見や解釈、感想をネット上に書き込むかもしれない。そこではおそらくニックネームやハンドルネームを使うか、あるいは名無しのまま発言するだろう。本名を出したとたん現実の世界に引き戻されるからだ。ところで、キラとLの戦いは本名を隠した者どうしの戦いなのだ。月はLの本名を知ろうとするし、Lはキラという仮名で呼ばれているのが月である証拠を見つけようとする。つまり、仮名の裏側に回り込まれ、本当の姿を見られたら負けなのだ。

月とLの物語は、部屋にいながら世界をすべて知っているような全能感にひたりがちな僕たちにふさわしい物語だ。自分の部屋の中で、僕たちと同じようにお菓子を食べ、ノートや本を開き、テレビやインターネットのモニターの前にいる彼らが、世界を動かす力を持っている。彼らは僕たちにふさわしいヒーローに違いない。

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インサイド・マン
犯罪計画自体はそれなりに面白くできていて、予告編を見て予想していたとおり面白い完全犯罪のトリックも出てくる。インサイドという言葉の意味が、映画が進むにすれて変わっていくところもいい。人質の「中」に紛れること、銀行の「内部」を探ること、仕掛けによって警察「内部」の動きを把握していること、そして・・文字通り何かの「中」にいること。

ただ、洗練されたかっこいい編集がされているにもかかわらず、映画全体に緊迫感が感じられないし、トリックによって相手を出し抜く爽快感を観客が共有することもあまりできない。もちろん俳優の責任ではないだろう。覆面をしたクライブ・オーウェンと交渉役のデンゼル・ワシントンが対峙する場面はすばらしいし、出番が少なく薄っぺらのキャラクター設定しか与えられていないジョディ・フォスターも、切れ者の弁護士という雰囲気は伝えてくれる。ただ、オーウェンの役の視点で映画を見るには犯人役側の描写が少ないし(人質の中に紛れているという状態を映し出すためにはしょうがないのかもしれないが)、交渉役の側の描写に関しても、恋人がいるとか横領を疑われているとか、そういう情報があまり生かされていない。犯人側の視点で進むなら動機を早めに十分説明してもよかったと思うし、交渉人側の視点で進むならもっと犯罪の動機は謎めいていて、交渉人(と観客)が推理でそれに迫ろうとするほうがいいはず。何かを隠している銀行側の視点も含めて、三者を均等に写しているせいで、淡々と進行していく。

所々人種差別のネタが出てくるところがスパイク・リー監督らしいとこだが、クスッと笑ってしまう台詞のやりとりが字幕では完全にフォローできないのが残念。ターバンを巻いているだけでテロリスト扱いされるとか、警官がガンガン差別用語を口にしているところ、そして人質のやっている残酷なゲームを見て犯人のオーウェンが嘆くところなどは、社会派監督の作品らしいユーモアがあって面白いところだ。

インサイド・マン
インサイド・マンブライアン・グレイザー スパイク・リー デンゼル・ワシントン

おすすめ平均
stars緊迫感が心地よい”秋の夜長のおススメ”
stars集中セヨ
stars一言で評するなら「パーフェクト&クール」。
starsこいつは、すんごいや。久々に面白い映画に出会った
stars作品は素晴らしいのだが・・・。

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花よりもなほ
武士は支配階級に所属している印として腰に刀を差している。それは、命を一瞬にして断ち切ることのできる道具だ。戦国時代には戦場で生き残るために必要な血なまぐさい道具であったものが、戦場の記憶が遠いものになっている元禄の世では、武士道の美学の象徴となる。切腹が象徴するように、それは自己完結した美学だ。皮肉なことに、戦争が起こらない世の中になって武士が必要とされなくなってから、潔く戦い桜のように散るという、現実の戦争からかけ離れたこの美学がもてはやされるようになる。戦もない今、武士が他の階級に頼って生きているという現実を、この自己完結した美学は忘れさせてくれる。仕官先を失った赤穂浪士たちは、仇討ちによってのみ自分が武士であることを証明できる。一方、刀を差すことを許されない庶民たちは、仇討ちの物語を太平の世の娯楽として消費する。

父の仇討ちのために松本から江戸に出てきた宗左(岡田准一)は、かつてはこの美学に生きることを強いられていた人間だ。しかし貧乏長屋で暮らし続ける内に、彼は変化していく。武士のプライドにしがみついているが実際には地元からの仕送りに頼っている宗左と、あらゆる手段を使って生き延びる長屋の人々(古田新太、香川照之、田畑智子、上島竜兵、千原靖史、木村祐一、加瀬亮・・・絶妙なキャスティングと光の入り方を計算して建てられた長屋のセットがすばらしい)。やがて彼は寺子屋を開き、長屋の人々から必要とされる人間になっていく。

長屋には社会的弱者と心に傷を抱えたものが集まっている。投げ遣りで斜めに構えた態度のそで吉(加瀬亮)は、親から受けた傷をかかえて生きている。雨降りの夜、おりょう(夏川結衣)との会話によって、彼はやっと自分自身を肯定する。今でも愛している女性を、見守り続けることを誓うことによって。未亡人おさえ(宮沢りえ)もまた夫の死に関して人には言えない心の傷を負っている。憎しみというマイナスの感情を子供への愛情というプラスの感情になんとか変えながら、彼女は人前では微笑を絶やさない女性として生きている。

宗左は剣の腕が全然だめなのだが、仇討ちを躊躇しているのはそれだけが理由ではない。彼は父の仇である金沢(浅野忠信)とその家族を見てしまう。彼の命を断ち切ることは、彼と妻子との関係を永久に断ち切ることであり、彼の子供から父を奪うことだ。この映画で断ち切ることと対比されているのは、教えることだ。宗左は剣術の代わりに読み書きを教える。長屋の人々は親から様々なことを教えられ、また子に教えようとしている。わらじの結び方、碁の指し方、痛くない殴られ方・・。そして金沢の子供は、父から戦わないことを教えられている。殺すことは、この伝達の関係を断ち切ってしまうことで、宗左と金沢はそれを理解している。二人が竹藪の中で直接対峙する場面は、二人の俳優の存在感がもたらす緊張感がすばらしい。

江戸中が仇討ちの騒ぎで興奮しているとき、そこから距離を置こうとしている宗左とおさえを、僕らはもはや弱者と呼ぶべきではないだろう。彼らは戦いがもたらす傷に敏感であるが故に、そこから一歩退く勇気を持つ。生きている限り他人に何かを伝えられることを、彼らはよく知っている。

花よりもなほ 通常版
花よりもなほ 通常版是枝裕和 岡田准一 宮沢りえ

おすすめ平均
stars時代劇コメディでも流れるものは同じ
stars今までにない

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